歴史を感じる、歴史を知る
歴史探訪コース[4.0km/2時間]
集合場所/JR細呂木駅前 駐車場
1
細呂木製鉄遺跡
北陸最古の古代たたら製鉄遺跡です。「たたら」とは炉に空
気を送り込むのに使われる足踏み吹子(フイゴ)のことです。遺
跡にあった木炭の放射性炭素の測定から、古墳時代のもの
であることが証明されています。2019年にはミニパークとして
4基の製鉄遺構に大屋根を取り付け、製鉄の手順を解説す
る看板や実演コーナーを設置しました。
2
指中の板碑・川口城址
この板碑は応安年間(1368~1374年)
のものと考えられ、あわら市最古のもの
です。川口城は、南北朝時代、新田義
貞四天王として活躍した畑時能(はた
ときよし)が築いたと伝えられています。
3
神宮寺城跡
神宮寺の創建は寛弘8年(1011年)、開
祖は奈良興福寺の僧・頼祐です。この寺を
北側から左右に包み込むように曲輪が築
かれています。戦国時代、朝倉氏が堀江氏
の家臣・細呂木氏に命じて、加賀一向一
揆の防衛強化のために築かせた城です。
4
春日神社・石造狛犬
本像は、台座を含め笏谷石の一材か
ら彫出されたもので、越前狛犬の中でも
永正12年(1515年)という最古の年号
銘を持ち、越前狛犬の重要な資料です。
5
春日神社の大杉
樹齢推定900年以上の大杉で
す。別名「衣かけの大杉」と呼
ばれ、昔、神社に仕えた僧が、
「お身すすぎの池」で、身を清
める際に衣を掛けていたことが
由来だそうです。
6
沢のまんぷ
「まんぷ」とはトンネルや隧道のことで、京都・
滋賀・福井・石川県などで使われています。
この「沢のまんぷ」は、明治30年(1917年)
の北陸本線の開業時に建設されたもので
す。レンガ造りであるため通称「あかまんぷ」
とも言われています。
心安らぐ静かな自然に感謝
のんびり森林浴コース[3.0km/2時間]
集合場所/金津創作の森美術館 駐車場
1
金津創作の森美術館
21haの森に美術館と陶芸・ガラス工房があり、工芸作家など6人が住居
兼アトリエを構えています。美術館アートコアにはレストランを併設。現代
アートの聖地として著名作家の作品が野外でも観覧できます。
2
雨乞堂(雨請堂)
129段ある長い石段を登って、尾根伝いに
進むと雨乞堂があります。享保の大飢餓の
時に、村人が雨乞祈願をして、雨を降らせ
たので、神を祀るようになりました。天気の良
い日には日本海や北潟湖が望めます。
3
石切り場跡(私有地のため要予約)
石造りの神殿を思わせる神秘的な空間が広がる石切り場跡。石の切
り出しは明治20年ごろから、戦後セメントが普及するまで続けられました。
心身ともにリフレッシュ
癒し巡拝コース[6.0km/2時間]
集合場所/さくらセンター 駐車場
1
千束一里塚跡
当初東側に2本、西側に1本
の榎があり、旅人は木陰で
しばしの休息を楽しんだとさ
れています。道路拡張の際、
東側の一里塚が取り壊され
たので、現在は西側の一里
塚だけが残されています。保
存状態は良く、往時の面影
を残しています。
2
聯珠山照厳寺
浄土真宗の古刹、聯珠山照厳寺。「朝倉
始末記」や「明智軍記」にも登場し、この
北陸の地で際立った存在となっていまし
た。1617年に柿原郷清王村の「字麻畑」
に移り、約150年後、現在地「字岡ノ峯」
に寺基を移転しました。
3
嫁威の谷
意地の悪い姑が嫁を脅そうと、つけた鬼女の
お面が、顔からはずれなくなってしまったという
福井県の民話「嫁威しの肉付きの面」で有名
な伝説の舞台です。その時の面は現在も、吉
崎御坊願慶寺で見る事ができます。
4
大蓮院専教寺
当寺は858年、空海(弘法大師)の直弟
子である空量が草創したものです。この地
には柿の林があり、大きな蓮池があったの
で、「柿原」と呼ばれ、寺号も「大蓮院」と名
付けられました。多賀谷家の菩提寺です。
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多賀谷左近三経公墓所
多賀谷左近三経(たがやさこんみつつね)は、初代福井藩主結城秀康
の重臣として越前と加賀国境の鎮めを任ぜられ、山十楽の台地に館
を構え、支配の村は54村におよびました。治政僅か7年ですが、細呂
木地区に本拠をおいた唯一の大名です。
蓮如上人の足跡をたどる
ロマン街道コース[2.0km/1時間]
集合場所/細呂木関所跡 駐車場
1
細呂木関所跡
初代福井藩主結城秀康が越前入国の際、
加賀国に接する北陸道の関門として設け
られたもので、国境を警備し、通行人と物
資の搬出を監視する要所でした。
2
旧北陸道(のこぎり坂)
親鸞聖人や蓮如上人、加賀藩の大名行列等も往来したと伝えられてい
る、昔の北陸道の面影をそのまま残す数少ない貴重な古道です。のこぎり
坂、祝言坂の名が残り、途中に「往来安全」「お国境」の名号塔があります。
3
吉崎古道(切通し)
旧北陸道から分岐しているこの道は、かつては道が険しく吉崎参り
の難所でしたが、明治時代に山を切り下げ、整備されました。両側
にそびえ立つ山壁が、当時の苦労や蓮如上人が生きた時代をより
いっそう身近に感じさせます。